毎日書けなくていい。書けない日のほうが、実は重要
「毎日書いたほうがいいですか?」
これは、
書き始めた人が必ずぶつかる質問じゃないですか?
で、
答えから言いますね。
毎日書けなくていい。
それどころか、
書けない日のほうが、
あとで効いてくることすらある。
これが私の答えです。
もちろん、
やってく中で変わってくるかもしれませんが、
今のところ私は、
「毎日書かなくてもいいかな、、、」
と思ってます。
多くの人は、
「継続=正義」だと思っている。
- 毎日書く人が偉い
- 書けない自分は意志が弱い
- 三日坊主はダメ
この考え方が、
文章を書く人を一番追い詰めている。
自己嫌悪 → 書きたくなくなる
書かない → さらに自己嫌悪
このループに入った瞬間、
文章は生活から消えていく。
「継続」はいいんです。
「毎日」を強要してくるスタイルには、私は反対なんですね。
だから
「継続=毎日やる」を私は否定してます。
「継続」自体を否定はしてません。
少し立ち止まって考えてみてください。
書けない日って、
本当に「何もしてない日」なんですかね?。
たいていの場合、違いますよね。
- 感情が重すぎる
- 考えが散らかりすぎている
- まだ言葉になる手前
- 無意識が処理中
要は、
材料が溜まっている最中。
例えば、料理で言えば、
下ごしらえをしている時間。
包丁を握っていないからといって、
何もしていないわけじゃない。
書けない日が続くと、
人は焦り始める。
私もそんな時間を過ごしました。
2ヶ月間何も書かない。
SNSも投稿しない。
正直焦ってました。
「このまま書けなくなるんじゃないか」
「才能ないのかもしれない」
「向いてないのかも」
そんな思いがグルグル、グルグル🌀
で、
ここで、多くの人がやってしまうんでしょう。
無理やり書く。
結果、どうなるか。
- 薄い
- 安全
- どこかで見た文章
書いている本人が、
一番つまらない、、、みたいな文章。
大事なのって、
書けない日を失敗扱いしないことなんです。
(と、自分に言い聞かせてます笑)
書けない日は、
感情が沈殿しているみたいな感じ。
モヤモヤとした霧の中から、
ハッキリとした感情が下に溜まっていってる。
で、
沈殿がないまま書くと、
言葉は軽い。
でも、
少し寝かせた感情は、
後から強い言葉になる。
これは経験則。
書けない時に焦って書いた文章は、
「借りものの言葉」を並べただけ。
そんな文章は、
書いてる自分が一番つまらない。
そんな経験をしてきた私だから言える。
書けない日こそやってほしいことがあるんです。
それは、
「書こうとしないで、気づくこと」
- 今日は何に反応したか
- 何が引っかかったまま残っているか
- どんな感情を飲み込んだか
メモでいい。
一行でいい。
言葉にならなくていい。
「ムカつくーーーー」
とか
「チクショ〜〜〜〜〜」
とか。
なんなら
「うぎゃ〜〜〜〜」
とかでもいい。
だじなのは、
「今日は書けなかった」
で終わらせないこと。
「今日は、これが残った」
で終わらせる。
これだけで、
次に書く文章の密度が変わる(気がします)。
あ!
もちろん、
毎日書くこと自体が、
悪いわけじゃないです。
ただ、
毎日書けない自分を罰する必要はない。
継続って、
回数の問題じゃない。
「戻ってこれるかどうか」だ。
一週間空いてもいい。
一ヶ月空いてもいい。
「また書くか」
と思えたら、
それで継続だ。
それでいいのだ。
書けない日てのは、
サボりじゃない。
サボってるわけじゃない。
内側で、
何かが静かに動いている。
そう思うんです。
なのに、
それを無視して、
外側だけ動かそうとすると、
文章はすぐに空っぽになる。
書くことは、
工場の流れ作業じゃない。
エンジンなんです。
回らない時間も、
ちゃんと燃料は溜まっている。
し、
キーを回せば、、、
ほら、
また火が灯って、
ガンガン動き出すんです。
だから、安心してください。
書けない日は、
書けないことが必要な日なんです。
無理に回さなくていい。
壊さなくていい。
また、
自然に回り出す。
そのときの文章は、
きっと前より、深い。
