読まれる文章に共通する条件
読まれる文章の秘密のテクニック?
読まれる文章。
反応が出る文章。
最後まで読まれる文章。
こう聞くと、
多くの人は「技術」を探し始める。
まぁ、
今回も私の経験から、、、
という話なんですけどね。
文章の「技術」、
✅ 強いタイトル
✅ 感情を揺さぶる構成
✅ 心理テクニック
たしかに、
それらは助けにはなる。
でも、
それだけで読まれるなら、
世の中はもっと名文で溢れていると思うんです。
だけどそうではない。
現実は違う。
整っているのに、
読まれない文章は山ほどあるんです。
読まれる文章に共通する条件
結論から言いますと…。
読まれる文章に共通する条件は、
です。
要は、
「私は、ここから見ている」
が伝わる文章。
情報でも、
意見でも、
体験談でもない。
視点なんです。
人は「情報」だけを読んではいない
例えば、
同じテーマの記事を、
10人が書いたとする。
情報はほぼ同じになります。
事実も、
手順も、
注意点も。
ひょっとすると結果さえも。
それでも、
読まれる文章と、
流される文章に分かれる。
違いは一つ。
「何をどう見たのか?」
ってこと。
- どこで引っかかったのか
- なぜ、そう感じたのか
- 何に違和感を覚えたのか
この書き手の「個人的な引っかかり」が、
文章の芯になる。
で、
読者は、
その人の目の位置、
視点を借りて、
世界を見ることになる。
結局は、、、
それを体験できるかできないか?
読まれる文章とそうでない文章の違いって、
そういうもんなのかもしれない。
正解を語る文章はつまらない?
正しいことを書いた文章は、
一瞬「なるほど!」と思われる。
でも、
すぐ忘れられる。
なぜかって、
正解は誰のものでもないからだ。
誰が語っても、
「そうだよね」って内容は、
やっぱりつまらない。
逆に、
少し偏っていても、
少し不器用でも、
「この人、ここに立ってるな」
「この人の視点はこうなんだ」
そう感じられる文章は、
記憶に残る。
人は、意見より人を覚える。
もっと言えば、
人は、その人の視点に興味を持つ。
立ち位置が曖昧な文章は全部つらい
読まれない文章の多くは、
内容以前に、立ち位置がぼやけている。
ん〜、、、
例えば、
何を信じているのか見えない
どこに引っかかっているのか分からない
みたいな文章。
こういう文章は、
読む側も落ち着かない。
「で、あなたはどう思ってるの?」
こんな読者の問いに、
書き手として答えていないから。
立ち位置は「主張」じゃなくていい
ここで私は誤解してしまったんです。
立ち位置=強い主張
だと思ってしまった。
よくSNSであるじゃないですか。
「ライティング学ばないやつはダメだ!」
「まだいいね周りやってるんですか?」
「1日10投稿できないやつはやめてしまえ」
みたいな、、、。
(今はそこまで強い言葉は使われてないかな…)
強い主張だけが「視点」とか「立場」じゃないんです。
✅ 分からなかった場所
✅ つまずいた地点
これも立派な立ち位置だったんです。
「まだ答えが出ていない」
という場所から書かれた文章は、
同じ場所にいる人に、深く刺さる。
読まれる文章は、問いを抱えたまま書かれている
本当に読まれる文章は、
だいたい未完成なんだと思う。
完成した答えより、
考えている途中のほうが、
人は一緒に歩ける。
「私は、ここで立ち止まった」
とか
「私は、ここで悩んでいる」
とか
「私は、ここが分からない」
とか、、、
この正直さが、
読者を引き込む。
少なくとも、
私はそんなひとり。
まず決めるのは「視点」だけでいい
書く前に、
構成を考えなくていい。
これは私の考えです。
タイトルも、
オチも、なくていい。
整っていなくていい。
ただひとつ、
これだけ決めてから書いていこうと思う。
「自分は、どこに立って書いているのか」
それが決まれば、
文章は自然に流れ始める。
読まれる文章
最後に、これだけ伝えたいと思います。
読まれる文章は、
テクニックじゃない。
何を、
どこから、
どう見ているか。
その選択が、
文章のすべてだ。
上手くなくていい。
正しくなくていい。
ただ、
自分の立ち位置だけは、
ごまかさない。
それが、
読まれる文章に共通する、
たったひとつの条件なんです。
